善養寺について

宗派
真言宗豊山派
正式名称
星住山地蔵院善養寺
別称
小岩不動尊
開基
大永七年(1527)
本尊
延命地蔵菩薩

寺伝によれば、善養寺の開基は、山城醍醐山の住僧・頼澄法印が、霊夢のお告げをかしこんで一山の霊宝の不動明王像を奉持して当地に下向し、大永七年(1527)に一宇を建立したことに始まるとされます。ただし、史実としては永正六年(1509)の連歌師宗長の紀行文『東路のつと』に、宗長が善養寺に立ち寄ったことが記されています。江戸時代には徳川第三代家光公より十石の朱印領を賜り、末寺を統領する中本寺として法燈を継いで今日に至ります。現在は真言宗豊山派に属し、奈良県初瀬の長谷寺を総本山、東京都音羽の護国寺を大本山に仰ぎます。

善養寺周辺
善養寺外観

寺紋

十六花弁菊に山の字を置く紋章

十六花弁菊に山の字を置く紋章です。かつて善養寺が京都嵯峨御所(現在の大覚寺)の御用寺であったことから、皇室の御紋である十六花弁菊の使用を許可されています。また築地塀には皇室に由来する格式を表す五本の定規筋が引かれています。

ご本尊

金色の地蔵菩薩立像

徳川五代将軍綱吉公の帰依を受けた護持院の隆光僧正(1649〜1724年)による将来と伝わる地蔵菩薩立像です。とくに延命のご利益があります。

影向の松

下から見た影向の松

四方に枝を広げた巨大な盆栽を思わせる黒松です。樹齢は600年以上、枝は東西南北に約30メートル伸び、繁茂面積では日本一ともいわれます。「影向」とは神仏が仮の姿をとってこの世に現れることで、その偉容の荘厳さから、また一説には松の元に不動明王が示現したという故事から、影向の松と名付けられました。昭和から平成にかけて樹勢の衰えが見られましたが、現在は回復傾向にあり、平成23年に国指定天然記念物となりました。

太い幹が延びる影向の松
雪が積もっている影向の松
秋口で少し黄色に色づく影向の松